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大学受験の思い出 1

この週末、1月17、18日は大学入学共通テストでした。
全国の受験生の皆さま、そして私どものスタッフの高校3年生のお子さん、まずはお疲れ様でした。

私自身は、決して順調な受験生では無かったので、この時期になると暗黒の時期を思い返してしまいます。

もう30年以上経ってますが、生涯忘れないのだと思います。

私の時代は毎年のように制度が変わり、翻弄され続けました。
共通一次試験いわゆる今の共通テストは国公立大学限定でした。
長い受験生活のうち、今回は高校3年生での失敗談を話したいと思います。

私の年代から、唐突に3つの変更点がありました。
科目数の減少 5教科7科目から5教科5科目に負担が小さくなりました。
共通一次試験の前に2次試験の大学へ出願する、後にも先にも唯一の年になりました。
西日本をA日程、東日本をB日程とし、初めて国公立大学の2校出願ができたのです。

そうすると、まずは共通一次試験で良い点を取らないと、二次試験にすら進めません。いわゆる足切りです。

単純に受験機会、志願者が2倍になるのですから、試験会場は許容できません。
共通一次試験の後には、文部省からできるだけ足切りをしないように通達が出るほどの混乱でした。

受験生の大移動で航空会社とJRは潤ったでしょう。

私は、高校1年より共通一次対策にかなり重点を置き、幸いにも87%の得点率でした。
ただし、これが最高点で以後年々下がることは予想外でした。
若気の至りで高望みしてしまいます。

この頃の私には、自己の能力を客観的に評価できる姿勢が欠けていました。
一方で夢を追い掛けて高い目標を持つことも大切だったと思います。
結局、この年は自治医大の一次合格、面接不合格。西と東の旧帝大を受験し敢えなく不合格という結果でした。圧倒的に記述試験の力不足でした。
それでも、高校2年生より部活も辞めて、毎晩遅くまで2年間にわたって努力し続けたことは、のちに医師となってからの粘り強さ、根気の良さに繋がっていると思います。

ほぼ半数が浪人する時代でしたから、予備校に通うこととなります。

このあと、さらに2年続く医学部への道は、いずれ続編で。